鳥マガHome > 鳥取グルメ > 鳥取の味覚[特産&食材]/二十世紀梨

梨とは、バラ科ナシ属の植物で、特にその果実のことを指します。世界には大きく”和なし”、”中国なし”、”洋なし”の3種類の梨があります。
日本に自生するといわれているのが「マメナシ」「ミチノクナシ」「ニホンヤマナシ」の3種です。現在、日本で栽培されている品種のうちの大部分が「ニホンヤマナシ」を改良したものといわれています。
しかし、この「ニホンヤマナシ」は植物学的に見て史前帰化の可能性が極めて高いと推測されています。すなわち原種は中国梨であろうと考えられていますので、現在栽培されている「ニホンヤマナシ」に属する品種は外来種である考えても大きくは間違っていないと思います。
「マメナシ」は食用には向いておらず、台木として利用されるのみだそうです。
「ミチノクナシ」は形態的に「イワテヤマナシ」と「アオナシ」に分類されます。「二十世紀梨」は「アオナシ」に属するのではないかと思われます。
現在「アオナシ」が分布しているのは八ヶ岳を中心とした山梨県と長野県の標高1,000m〜1,600mの辺りとのことです。しかしこの辺りはリゾート開発が進められている場所にあたるためアオナシの自生個体は急速に減少していくとの見方がなされています。
1888年に現在の松戸市で、当時13歳の松戸覚之助が、親類宅のゴミ捨て場に生えていたものを発見した。松戸は「新太白」と名付けたが、1898年に渡瀬寅次郎によって、来たる新世紀(二十世紀)における代表的品種になるであろうとの観測と願望を込めて新たに命名された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
……皆さんはこの歴史的解釈に納得できますか?そもそも「二十世紀梨とは」で検索してみると、あたかも「自分が調べました」と言わんばかりに上記引用してあるものとまるっきり同じウィキペディアの文章で記述されているサイトが多いことに驚きます。この内容の全てに疑問を抱いてるわけではありませんが、要約すると「ある日、青年はゴミ捨て場で新品種の梨を見つけました。それは二十世紀梨と名づけられましたとさ。めでたしめでたし・・・。」と、これでは少なくとも私には”おとぎ話”にしか思えないわけです。
上の引用文に、明らかになっていることを加えて、もう少し信憑性のある形に書き換えたなら、
「1886年に現在の千葉県松戸市で松戸覚之助が11歳の時に父親が新たに梨の栽培を始めた事から梨に興味を持つ。1888年当時13歳の覚之助が、分家の石井佐平の家を訪れた際にゴミ捨て場に芽を出している新種と思しき梨の苗木があるのを発見した。覚之助は石井より苗木を譲り受けて自宅に植えた。しかし黒班病に対してきわめてよわく試行錯誤の末、23歳となった1898年にやっと結実した。松戸は「新太白」と名付けたが、1904年覚之助から苗木を分けて貰って育てていた渡瀬寅次郎は東京帝国大学の池田伴親(あるいはその父謙蔵との説もある)の推賞を得て、渡瀬がこの梨を「二十世紀梨」と命名するように提案したとされる。」
と、した方が少しはおとぎ話から逃れることができるのではないでしょうか?
私自ら書き加えをしておきながら、なお納得がいきません。最も納得ができないのは「ゴミ捨て場で発見」の部分です。ここで言われているゴミ捨て場はオープンスペース的に屋外にあったのでしょうが、一般家庭であれば、屋外に「ゴミ捨て場」などという場所を設けている家など聞いたことがありません。あったとしてもゴミ捨て場には家中のあらゆるゴミが捨てられる筈なので文字通り”ゴミの山”がそこにあったのかと想像すると近隣住民からは忌み嫌らわれる家だったに違いないと想像してしまいます。もしそんなゴミ捨て場に新種の梨が突然生えていたとしたら、これはまさにサプライズであるので世界中が驚愕したことでしょうし、植物学的に見ても二十世紀梨は貴重なサンプルとなり得るのではないでしょうか?そもそもゴミ捨て場なのになぜ梨の木が生える?不思議でなりません。
以下憶測を含みますが、松戸市のある千葉県は梨の栽培が昔から盛んな地ですので石井佐平の家も梨栽培を行っていた農家だったのではないでしょうか?石井佐平が新たな品種を生み出すことに積極的であったと考えた場合、あらゆる品種の梨の木を保有していたと考えられます。それで不要となった梨の木を処分する場所こそが”ゴミ捨て場”だったのでしょう。とすると、この時すでに石井佐平は今で言う「二十世紀梨」を生み出すことに成功していたのかもしれません。
松戸覚之助は、石井佐平の新品種に目をつけてはいたものの農地で成育しているものを頂戴するのはさすがに忍びなく、ゴミとして処分されていた新品種を譲り受けたのではないでしょうか?
または、当時は梨といえば茶褐色のものが当たり前で青梨の類は売り物にならないとして石井佐平は全て処分しようとしたのかも知れません。いずれにしても先見の明があったのは松戸覚之助です。
もう1つ思い浮かぶのが、ゴミ捨て場に処分した様々な種類の梨の木が奇跡的に交配することに成功して、これまた奇跡的に二十世紀梨が誕生した。とする説ですが・・・、こんなことが起こりうるのでしょうか?もしも起こりうるとすれば梨に限らず、日本中の農家の”ゴミ捨て場”でさまざまな植物の新種が誕生することになるはずですが?
明治37年春、鳥取県の園芸家である北脇永治(当時26歳)が千葉県の松戸覚之助が経営する「錦果園(きんかえん)」より苗木10本を購入し自分の果樹園に植えた。果樹園は湖山池の南東にある丘陵地の松保村(まつほそん) すなわち現在の 鳥取市桂見でした。
永治は、この新種の梨で鳥取県の農家の貧しさを救おうとし、当時の地方紙である『因伯時報』や『鳥取新報』に苗木を分譲する旨の広告を出し二十世紀梨の栽培を訴え続けましたが容易には受入れてもらうことにはならず順風満帆とはいかなかったようです。さらに松戸覚之助時代から黒班病に手をやいていたように、この病いに宿命的なほどに弱くまだ殺菌剤がなかったので、せっかく栽培を始めた農家もときに断念するほどだったそうです。
鳥取県は和梨の生産においては、全国で常にトップ3に入るほど盛んです。かつては長らく生産量1位をキープしてきましたが、現在は消費者は赤梨系を好む傾向があるのと生産者の問題により生産量が減少傾向にあります。
生産者の問題と言うのは何も生産に失敗したというのではなく、元々二十世紀梨は生産が難しいことと後継者問題を含みつつ生産者の高齢化により生産量の減少を余儀なくされています。
近い将来、鳥取県から二十世紀梨の生産が消えていますのではないかと心配する声も聞かれます。