鳥マガHome > 鳥取グルメ > 鳥取の味覚[特産&食材]/しいたけ(椎茸)

シイタケ(椎茸)とは、キシメジ科シイタケ属の食用キノコのことで学名はLentinula edodesと言うそうです。私達の食生活において「シイタケ」はとても馴染み深い食材の1つです。採れたての生シイタケを焼くなり煮るなりして食べるのも美味しいですが、干しシイタケは漢方では香蕈(こうしん)とも言われ、いっそう味が濃くなり格別な味わいになります。
学名の「edodes」の部分については「江戸です」と読めなくもないですが江戸とは何の関係もないそうで、ギリシャ語で「食用となる」という言葉をラテン文字に置き換えると「edodes」となるそうです。(参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
干しシイタケの独特の香りは有機硫黄化合物の1つであるレンチオニンが由来しているもので、レンチオニンは血小板凝集能を阻害する効果があるため血栓症の治療に有効であると言われています。
またシイタケはビタミンD2を含む食材であることも良く知られているところです。人間に欠かすことができない栄養素にビタミンがありますが、その中で骨を作る働きをするビタミンD(2)を含む植物がシイタケです。シイタケからよりビタミンD2を摂取するには調理前に生シイタケであればしばらく日光に当ててやることで簡単にビタミンD2が増加させることができるそうです。
シイタケの語源については明らかにされておらず一般的にいわれているのが、椎の朽木に自生していたことから「しいたけ」の名前がついたとされています。シイタケを漢字で書くと「椎茸」となることからも正しい見解だと思われます。
シイタケは意外にも謎な部分が多く、そもそもシイタケが最初に発見された国はどこであるのかわかりませんし、シイタケに含まれるレンチオニンにしても詳しくは解明されていない様子です。そんな中で日本においてのシイタケの歴史を見てみたいと思います。
蜷川親元の「親元日記」にシイタケ食用の記録があるのが今のところ最古の記録であろうとされています。蜷川親元とは、アニメ「一休さん」の登場人物「蜷川新右衛門」こと蜷川親当の息子です。
正確な年はわかっていませんが、有馬藩に高千穂(宮崎県西臼杵郡高千穂町)地域で栽培されたシイタケが上納されたとされています。これはシイタケ栽培の最も古い記録であると云われています。ちなみに1614年(慶長19年)といえば「大坂冬の陣」が勃発した年です。
江戸時代に入ってから「鉈目栽培」による椎茸栽培始まったのだとされています。この「鉈目栽培」とは、ナタなどでほだ木に切れ込みを入れ天然の胞子が付着するのを待つと言う半栽培の方法でありシイタケ栽培の始まりでありますが、一か八かの賭けの要素がありある意味ギャンブル性をもつ栽培方法です。そしてシイタケ栽培発祥の地についても明らかになっておらず、伊豆説(静岡県)と豊後説(現大分県)の2つの説があります。またナタなどでほだ木に切れ込みを入れるところから「ナタ目法」とも言われます。
「鉈目栽培」は、自然発生を基礎とした栽培方法なので生産者はほだ木に切れ込みを入れる以外は指を咥えて待つしかなく、豊作であれば一攫千金!不作であれば一家離散の危機!という幸せと不幸が表裏一体のものであったらしい。
良いほだ木を木片にして原木に埋めこむ植菌方法で現在の栽培方法のスタートであったのでしょう。これにより椎茸栽培が非常に安定したものになり、椎茸栽培が全国的に広がり大規模な生産が行われるようになります。
棒型種駒が考案されたことで椎茸栽培の完成形を得たことになりました。この後は、改良と普及や優良品種の選抜育成がなされ生シイタケの生産が増大することになります。そして終年栽培が普及しはじめるのもこのころです。
特に安価な中国産のシイタケの輸入が増加することで、国産シイタケの価格が暴落を迎えることとなります。そして、このまま今日に至っています。現在シイタケの輸入は過剰輸入となっており、売れ残った大量の輸入シイタケが業者により不法投棄された事件もありました。そして中国産椎茸からは日本の基準値を超える残留農薬が検出されているにもかかわらず中国の全面対日輸出停止には至っていません。日本の政府は何をしとるのかと申上げたい。
全農鳥取県本部が団体の部で優勝を果たしました!これまで過去6年間も準優勝に甘んじてきた鳥取県悲願の初優勝です。今まさに、鳥取のシイタケを全国に向けて鳥取ブランドとしてのシイタケをアピールしていくべきだと考えます。